2007年04月07日

信越本線アーカイブ 急行<赤倉>

信越本線アーカイブ 急行<赤倉>
10年前の信越本線を振り返る第二弾は、長野〜新潟を結んだ急行<赤倉>です。

急行列車は、JR線においてマイノリティな存在となり、今では全国でも数えるほどしか残っていませんが、かつては「庶民派の優等列車」という位置づけで、幹線はもちろん、ローカル線にも運行されていました。
<赤倉>はもともとは、名古屋と新潟(今思うと、結構な長距離!)を結んでいましたが、長野までは特急<しなの>に編入されるなどの紆余曲折を経て、晩年は前述の区間を1日2往復の運行でした(長野県内は普通列車)。

使われた電車は、「湘南色」といわれた深緑オレンジのツートンカラーに塗装された165系という電車。

かつては新宿松本とを結んだ<アルプス>上野長野を結んだ<信州>名古屋長野を結んだ<きそ>というように、長野県と首都圏、中京圏を結んだ急行列車にこの形式が使われたので、ご存知の方も多いのではないでしょうか(<信州>は碓氷峠仕様の169系)。

私の場合、少年時代を首都圏で過ごしたので、信州行きの急行ということで、憧れのカラーでもありました。

この国鉄の流れをくむ正統派ともいうべき急行が、97年10月の改正で特急に格上げされるとあって、同日に廃止の運命にあった碓氷峠越えの横川〜軽井沢間とともに、数多く撮影行を敢行しました。

中でも画像の、二本木〜新井間では背後に妙高山を入れて撮影できるとあって、お気に入りのポイントでした。

築堤をカーブしてくる<赤倉>を下からややアオリ気味なアングルにして、妙高山を望遠レンズで引き寄せます。

すると妙高山がかなりの迫力で列車の背後に立ちはだかるかの印象を与えてくれます。

北信地方から見るよりもかなり荒々しい山容を見せてくれています。


<赤倉>のあとは特急<みのり>が引き継ぎましたが、ほどなくして運転区間を高田始発(現在は一部新井始発)にした快速に格下げされ、長野から新潟への直通列車は消滅してしまいました。

*信越本線・二本木〜新井(新潟県中頸城郡中郷村<現妙高市二本木>)
NikonF5+300mm(RDP2)
1997.4撮影

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この記事へのコメント
しかも原型目玉ですね。もしかしてトップナンバーですか?
信州」は、やはり長野市に住んでいたので僕には「ああ、上野へ行くんだなあ」と安茂里の高台から眺めていました。あのころはまだサハシ+サロ2連という豪華急行でした。

「みのり」は衝撃的でした。長野発着の485系しかも新潟行き。
冬場も含めると長野って結構豪華でしたね。
381、189、183(あずさ回送)、485、489、583、583+485、ああ、サンダアバアドも来たことあったな。

妙高+志賀も忘れてはいけやせんですぜ。
Posted by もり at 2007年04月08日 15:47
たぶんトップナンバーが組まれた<K1>編成とは違っていたように記憶してます。急行が全盛だった頃は編成も豪華でしたね。ず〜っと昔、妹と京都の親戚から旧客時代の<ちくま>と<アルプス>を乗り継いで帰った覚えがありましが、その時、乗り合わせたのが「サハシ」でした。きのこ型(!?)のクーラーが特徴的でしたね。
今は新潟に直通する列車がなくなり、寂しくなりました。
せめて、新井始発の<みのり>に接続する長野発の各駅停車があるといいな、って思います。
Posted by 32Count at 2007年04月08日 23:59
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