2018年11月15日

今日からゴハチの年齢…


表題写真のEF58-61と同い年ということではありません。

語呂合わせで形式番号の58歳になったということでして…。  続きを読む


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2017年10月14日

45年目の10月14日


今日10月14日は鉄道の日、我々世代は鉄道記念日と言ったほうが通りがいいかもしれません。

幼い頃から電車好きな私でしたが、初めて鉄道にカメラを向けたのが1972年のこと。  続きを読む


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2017年03月31日

国鉄分割民営化から30年目の3月31日


その日、会社がひけると、カメラバックと三脚を携えて都内へと西武線〜山手線を乗り継いで向かっていました。

その日とは1987年3月31日。

この日限りで国鉄が6つの旅客会社と貨物会社に分割民営化され、その記念イベントとして汐留貨物駅にC56-160が展示され、汽笛を吹奏するのです。  続きを読む


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2017年01月19日

干支ひとまわりした1月19日に思うこと


今日1月19日は父の命日。

2005年は仕事で全国の温泉宿、リゾート施設を撮り歩いており、初ツアーに出る前、入院中の父を見舞って、

「これから新たな仕事に取り組みます」、

と、報告したのが生前における父の最後の姿でした。  続きを読む


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2016年10月16日

鉄道144周年〜44年前のD51-498を添えて


一昨日の10月14日は鉄道の日。

我々アラフィフ世代としては鉄道記念日と言ったほうが通りがいいかもしれません。

1872年(明治5)のこの日、新橋〜横浜間で我が国初の鉄道が開業し、それを記念して制定、

1972年(昭和47)がちょうど百周年にあたり、この年は各地で記念のイベントが繰り広げられ、

梅小路蒸気機関車館(現京都鉄道博物館)はこれをきっかけにしてオープンしたと記憶しています。  続きを読む


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2016年08月17日

43年前(1973)8月19日の小海線「SLのべやま号」

▼今では家が建ってずいぶん様変わりした野辺山駅・川上側のカーブ。高原とは言え夏の炎天下のもと3時間以上も待ちました。ドラフトの割りにはほぼ無煙状態icon15

先月、小海線を走った「旧型客車八ヶ岳号」、

撮影は、営業運転とその前後に行われた回送列車を含め、延べ三日間にわたりましたが、

そうたらしめたのは、小海線という最高の舞台において大好きなDD16牽引の客車列車だったということもさることながら、

鉄道に興味を持ち始めた中坊の頃、ただ単に「写った」シゴロクことC56-94による「SLのべやま号」に対するリベンジ、

さらには時間旅行の意味合いが大きかったと思います。  続きを読む


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2016年04月05日

40年前の信州撮影行 今に繋がる「サムシング」


ちょうど40年前の今時分、「信州ワイド周遊券」を手にして、長野県内を縦横無尽に巡っていました。

中学を卒業して高校へ入学する間の春休み期間、

志望校への受験に失敗して失意の中、春浅き信濃路への旅立ちでした。

当時、「信州ワイド周遊券」は学割で3000円ポッキリと破格なうえ、自由周遊区間も長野県内すべての国鉄線と国鉄バス、それと山梨県側の小海線も含まれているのに加え、

急行であれば自由席への乗車も可能で、

コストパフォーマンスに優れたたいへん乗りドクな周遊券でした。  続きを読む


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2016年01月29日

Evergreenの輝き!! スカ色電車の思い出〜飯田線編5 湘南顔クモニ83


旅客営業車の大半が戦前生まれの国電で占められている中、荷物列車の一部は戦後生まれのクモニ83が担当していました。

豊橋の戦前車置き換えのため静岡から転属してきた80系電車と同じ一派で、もとはクモユニ81を名乗り、東海道本線を疾走していました。

飯田線に入線する際、郵便室を取り払い荷物室とし、塗装を湘南色からスカ色に改められたと理解しています。

同じ形式に72系を種車にした0番台と800番台は、今も長野総合車両センターで車両の入れ替えや時にはイベントで本線を走るクモユニ143とほぼ同じ顔をしているのに対し、

飯田線に在籍した100番台は湘南フェイスをしていました。
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2016年01月26日

Evergreenの輝き!! スカ色電車の思い出〜飯田線編4 合造電動車クモハユニ64


「旧型国電博物館」状態だった飯田線でも異色の存在とも言えるのがクモハユニ64。

伊那松島へと転属した旧国グループでも、おそらくは最後の車両ではないでしょうか。  続きを読む


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2016年01月24日

Evergreenの輝き!! スカ色電車の思い出〜飯田線編3 切妻車と平妻車


S字橋で撮ったあと、城西駅に戻り次の上り列車で早瀬駅を目指しているのですが、その乗り合わせる列車を駅撮り。

クモニ13+クハユニ56+クモハ54…、の飯田線としては長い5車、

北部では見かけないクモニ13が旅客車の先頭に立っている姿、珍しいと思いました。  続きを読む


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2016年01月23日

Evergreenの輝き!! スカ色電車の思い出〜飯田線編2 S字橋上のクハユニ56他


前々回アップの大糸線からの転戦で5/2、3は飯田線に訪れていました。

その第2日目はぐんと南下をして静岡県側へ。

中でも撮りたかったのが「渡らずの鉄橋」として知られていた城西〜向市場間にある第6水窪川橋梁。  続きを読む


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2016年01月22日

Evergreenの輝き!! スカ色電車の思い出〜飯田線編1


昨年11月22日の「ありがとう115系C1編成」の運転をもって営業車からは姿を消してしまった横須賀線色、通称「スカ色」。

濃紺と濃いクリーム色のツートンカラー、

高度成長期に相次いで誕生した国鉄色の中でも大好きな配色で、その元祖である海と白砂の取り合わせはもちろん、

その後、中部エリアの山岳線へも進出して、銀嶺とのコントラストが絶妙でした。  続きを読む


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2016年01月21日

大糸線を走ったみず色電車 旧型国電を白馬三山、五竜岳バックに


色が淡いのですが、久しぶりに大糸線にみず色電車が先週末入ってきたので…、

時間を1981年当時にタイムスリップ。

手帳によると、4/28の臨時夜行急行でEF64-35牽引の「アルプス」12系客車に揺られて松本入り。

大糸線には29、30、1日の3日間滞在したのち、飯田線へと転戦しています。  続きを読む


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2016年01月16日

高尾臨の思い出 その1 雪の鹿山峠S字カーブ


年明けの1月から2月にかけて思い出すのが高崎から高尾へと八高線経由で運転された「高尾山初詣臨時列車」、通称「高尾臨」のこと。

実家が沿線近くにあって、季節を問わず凸凸狙いで撮りに出かけているのですが、

普段撮っている貨物列車とは違い、八高線には珍しい客車列車が入線するとあって、目の色を変えて線路脇でカメラを構えていました。  続きを読む


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2015年12月14日

40年目の12月14日


1975年12月14日、

ひとつの鉄道の歴史が終焉を迎えました。

室蘭発岩見沢行き225列車、

C57-135が牽引する8両編成の客車列車の運転をもって鉄道開業103年にわたる蒸気機関車による旅客列車にピリオドが打たれました。  続きを読む


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2015年11月24日

山スカLast Shot from First Shot その2


おそらくこれが山スカ115系にカメラを向けたファーストカットです。

中学を卒業して高校入学するまでの春休み、

志望校への受験失敗の傷心から当時、東京都区内から学割で3000円という、ワイド周遊券では破格の安さだった「信州ワイド周遊券」を使って信州への旅立ち。  続きを読む


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2015年11月18日

PF1115号機 ブルトレ牽引時代


本来なら15日にアップしたかったこのネタ、

遠征や遠征後の体調不良で3日遅れとなりました。

もしかしたら今、一番、撮りたい被写体かもしれません。  続きを読む


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2015年08月25日

「北斗星」運転当初の姿


1988年、青函連絡船の廃止と引き換えに、初めて本州と北海道とが一本の列車で結んだのがこの「北斗星」でした。

青森よりも北の大地を目指し、個室やシャワー室、フルコースの食堂車を連結し、まさに豪華列車の様相を呈し垂涎の的だったのは今も昔も変わらず、です。  続きを読む


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2015年08月25日

ブルートレインに思いを馳せて…


ブルートレイン。

子供の頃、絵本で見た蒸気機関車が先頭に立つ20系「あさかぜ」を見て以来、憧れの存在でした。

(今、思うと非電化時代の山陽本線富海付近!?)

九州・佐賀に父母の実家があった関係で里帰りの際、ちょくちょくお世話になりましたが、記憶に残るところで古いのは1972年8月、岡山で新幹線から乗り継いだ「あかつき」でした。

大学に進学して夏合宿では「あさかぜ」に乗り、社会人になってからは「さくら」、

北に向かうものとして、「ゆうづる」、そして、「北斗星」などにお世話になり、

それ以上に被写体として全国各地において撮ってきました。  続きを読む


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2015年02月06日

月光形電車の思い出

▼1M「はつかり5号」を尾久駅にて。表定速度90kmを超え在来線特急としては最速でした

DT33さんのコメントから「月光」繋がりでちょっと寄り道…。

わが国初の寝台電車として、また世界初の昼夜兼行車両として落成した581系電車。

初めてお世話になったのが、「月光」号として運行が始まって間もない1967年の暮れのこと、

母方の祖父、危篤の報せを受けて、母と妹、従姉妹の姉さんと実家の佐賀へと旅だっています。

(父は仕事の関係で留守を守っていました)  続きを読む


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