2007年10月21日

コッペル2号との再会

コッペル2号との再会
週末の20日、21日の両日で運転された「SLえちご日本海」号。

このイベントに併せて上越市頸城区にある旧頸城鉄道の百間町車庫が公開されました。
ここの車庫にはマニア垂涎の車両群が地元の有志の方々により大切に保管されています。
コッペル2号との再会なかでも「コッペル2号」

1911年(明治44)、ドイツのコッペル社が、産業用に製造した蒸気機関車です。

ゲージ(レール幅)は762mm、旧国鉄が採用した1067mmよりも300mmも狭く、自動車と道路が普及する以前、簡易的に敷設された軽便鉄道で活躍していました。

全長も4mそこそこしかなく、ともすると愛車よりも小さいかも!?

この頸城鉄道では廃止となる1971年(昭和46)まで在籍した後、1972年から1977年までは、なんと首都圏の大手私鉄、西武鉄道の、通称「おとぎ電車」で親しまれた西武山口線(遊園地前〜ユネスコ村)で活躍していました。

西武鉄道時代は「謙信号」の称号が与えられていました。

当時は鉄道百周年ということと、SLがブームであったという時代背景が重なり、西武鉄道への入線が叶ったのかもしれません。
コッペル2号との再会
当時住んでいた東京都下の小平からは電車だと一本でアプローチできたばかりか、チャリンコでもじゅうぶん行けたので、よくこのSLを撮りに、乗りに出かけたものでした。

いつの間にか後がまの蒸気機関車に置き換わって、西武山口線では見られなくなったと思ったら、貸借の期間が終わって、里帰りしていたのですね。

あれから30年…。

秋晴れの頸城の地で再会を果たすことができました。

細長い煙突、小さな3つの動輪、蒸気溜と汽笛、小さな連結器、吹きさらしの運転台、窯の焚き口、赤いプレートと銘板…という具合に、細部のパーツから全体のフォルムまでをじっくりとなめ回すように見ると、懐かしさがこみ上げてきます。

心の奥底に沈んでいたアルバムが目の前に現われ、小学生から中学生だった頃の、まだ鉄道写真を撮り始めた時代まで、時が戻ったかのような感覚を覚えました。

きっと顔つきは子供に戻っていたでしょうね。

いわば鉄道趣味の原点とも言える機関車に再会の念願を果たせ、気分は晴れ晴れ。

大きなSLもいいですけど、こういった軽便SLも味わい深いです。

保存会の方々には感謝!です。

また、明日からの一週間、なんとか乗り切れそうface02

コッペル2号との再会



*新潟県上越市頸城区、旧頸城鉄道百間町車庫にて
写真は上から
●コッペル2号の雄姿と客車、ディーゼル機関車、右の傍らには木造気動車「ホジ」
●軽便の小さな木造客車から見たコッペル2号の後姿
●栄光のコッペルの銘鈑、ベルリン、ロンドン、ニューヨークという文字とともに1911の数字も見られる
●コッペル2号のサイドビュー。全長4.9m、高さ2.9m、全幅1.7mのミニSL
NikonD200+28〜75mm
2007.10.21撮影









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この記事へのコメント
Count32さん、こんばんわ。軽便鉄道というのは軽井沢駅前に展示されている(あまりいい状態ではないようですが)ものしか知りませんでしたが、コッペル号は大変美しく大切にされているのが写真から伝わってきます。動態保存なのでしょうか。
SL、いいですね。栃木県茂木市にMotoGP観戦の下見に行った時、たまたま駅にSLが来ていて、友人と見とれてしまいました。
停まってから、駅員(整備士?)さんが足廻りの軸受け類にセッセと油差して・・・。
自分も機械が好きで仕事も通じるものがあるので見ていてワクワクしました。
SLに戻れなんていうつもりはありませんが、メンテフリーが進みすぎて味気なく、かつその意に反して機械に対する無知による危険度が増してるなぁ・・・なんて思ってしまいました。
Posted by まぁち at 2007年10月21日 22:39
まぁちさんへ
早速のコメント、ありがとうございます。
ホント、このコッペル2号に関しては地元有志の方々が大切に保管されていて、頭が下がる思いです。あと4年で車齢は100歳を迎えますが、各部分磨かれていて、今にも動き出しそうでした。静態状態ですが、もし動態状態に戻されたら、これ以上のことはありません。
蒸気機関車はある意味、究極のアナログな機械で、メンテナンスがとても大変ですが、各パーツが連動して始めて動きますから、メカ好きにはたまらないでしょうね。
機械の原点でしょうか。
Posted by 32Count32Count at 2007年10月22日 07:51
32Countさんへ
亡き母が大事に持っていた古い写真の1枚に、なんと「コッぺル3号」が写っていました。蒸気機関車のマニアの方なら、何かとご存知かと思って送ります。
母は大正4年に台湾嘉義市で誕生しました。その父親は当時北港製糖所の機関士として、サトウキビの運搬の仕事をしていました。
車体の横には「3」の数字が見られます。これは初代タイプの3号機という意味でしょうか。
母は大正10年まで台湾で過ごしましたので、撮影時期は大正3年から10年のいずれかになりそうですが。
当時の台湾の製糖産業発展に、大いに貢献したようですね。
Posted by 哲ちゃん at 2008年09月19日 00:23
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