2013年09月11日
本山支線にクモハ42を追いかけて

鉄研夏合宿がハネたのち、中国ワイド周遊券を最大限に活かして鳥取、島根、山口、広島の各県の路線を撮り歩きましたが、
その中でこのエリアに残された旧型国電の撮影は楽しみにしていました。
とは言え…、
1981年9月時点で旧国が走っている路線は2路線に過ぎず、
そのひとつ小野田線・本山支線は全長2.3kmの枝線に過ぎませんでしたが、ここには戦前に関西国電に投入されたクモハ42が現役で活躍していました。
前パン、狭窓、2扉、そして厳つい顔つきをした前面、
旧型車の、それも由緒あるキモが凝縮されていました。
001は2003年まで現役を続けたというのですから驚きです。
晩年は前面の黄色い警戒色もぶどう色に塗り替えられ、原型らしくなりましたが、訪れたのはそれよりも15年以上も前のことでした。
ネガを見ると、この前のカットが山口線の篠目駅での発車を狙ったもので、その続行列車で小郡まで行って、宇部・小野田線に乗り換えて雀田へと入っています。
夏の西国でさえも、到着時には宵闇が迫っていましたが、逆にマジックアワーと重なり、なかなかの雰囲気。
駅停車中をまずはパチリ☆彡
車内の様子も続いて撮りました。

床は板張り、壁や背もたれはニス塗り、扉付近のロングシートを除いてクロスシートがズラリ、そしてセンターポールが懐かしいです。
この日はこれで撮影終了。
小野田線のおそらくは妻崎駅あたりで「駅寝」して、翌朝、電車区のある宇部新川から本山支線へと送り込まれるクモハ42充当の始発電車に備えました。
これは厚東川のコンクリート橋でお出迎えしました。

昇ったばかりの朝陽がオールドタイマーの側面を浮かび上がらせます。
続行の電車で雀田に戻って、ここから長門本山まではクモハ42を撮影しながらの徒歩で移動。
長門本山駅では折り返す時間、各パーツを撮ったのち、駅を全貌する小高い丘のお立ち台へ。

少し高みに登るだけで、青い海原が広がる周防灘も望むことができました。
夏草が生い茂る侘びしい終着駅。
吊り掛けモータを高らかに雀田駅へと戻っていきました。
本山支線での撮影はだいたいこれぐらい。
この後、宇部線のどこかの駅で留置されているクモハ51や41を撮って、小郡駅へ。
ここでは山口線の「SLやまぐち号」の出発を撮って、普通列車で広島のひとつ手前の横川駅へ。
中国地方で残った旧型国電のもうひとつの路線、可部線を訪ねたのでした。
*小野田線・雀田駅、居能〜妻崎、長門本山駅(山口県小野田市、宇部市)
Pentax KX+50mm、80〜200mm
1981年9月撮影
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そのひとつ小野田線・本山支線は全長2.3kmの枝線に過ぎませんでしたが、ここには戦前に関西国電に投入されたクモハ42が現役で活躍していました。
前パン、狭窓、2扉、そして厳つい顔つきをした前面、
旧型車の、それも由緒あるキモが凝縮されていました。
001は2003年まで現役を続けたというのですから驚きです。
晩年は前面の黄色い警戒色もぶどう色に塗り替えられ、原型らしくなりましたが、訪れたのはそれよりも15年以上も前のことでした。
ネガを見ると、この前のカットが山口線の篠目駅での発車を狙ったもので、その続行列車で小郡まで行って、宇部・小野田線に乗り換えて雀田へと入っています。
夏の西国でさえも、到着時には宵闇が迫っていましたが、逆にマジックアワーと重なり、なかなかの雰囲気。
駅停車中をまずはパチリ☆彡
車内の様子も続いて撮りました。

床は板張り、壁や背もたれはニス塗り、扉付近のロングシートを除いてクロスシートがズラリ、そしてセンターポールが懐かしいです。
この日はこれで撮影終了。
小野田線のおそらくは妻崎駅あたりで「駅寝」して、翌朝、電車区のある宇部新川から本山支線へと送り込まれるクモハ42充当の始発電車に備えました。
これは厚東川のコンクリート橋でお出迎えしました。

昇ったばかりの朝陽がオールドタイマーの側面を浮かび上がらせます。
続行の電車で雀田に戻って、ここから長門本山まではクモハ42を撮影しながらの徒歩で移動。
長門本山駅では折り返す時間、各パーツを撮ったのち、駅を全貌する小高い丘のお立ち台へ。

少し高みに登るだけで、青い海原が広がる周防灘も望むことができました。
夏草が生い茂る侘びしい終着駅。
吊り掛けモータを高らかに雀田駅へと戻っていきました。
本山支線での撮影はだいたいこれぐらい。
この後、宇部線のどこかの駅で留置されているクモハ51や41を撮って、小郡駅へ。
ここでは山口線の「SLやまぐち号」の出発を撮って、普通列車で広島のひとつ手前の横川駅へ。
中国地方で残った旧型国電のもうひとつの路線、可部線を訪ねたのでした。
*小野田線・雀田駅、居能〜妻崎、長門本山駅(山口県小野田市、宇部市)
Pentax KX+50mm、80〜200mm
1981年9月撮影
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今日からゴハチの年齢…
45年目の10月14日
国鉄分割民営化から30年目の3月31日
干支ひとまわりした1月19日に思うこと
鉄道144周年〜44年前のD51-498を添えて
43年前(1973)8月19日の小海線「SLのべやま号」
45年目の10月14日
国鉄分割民営化から30年目の3月31日
干支ひとまわりした1月19日に思うこと
鉄道144周年〜44年前のD51-498を添えて
43年前(1973)8月19日の小海線「SLのべやま号」
Posted by 32Count at 23:00│Comments(5)
│鉄道アーカイブ
この記事へのコメント
クモハ42 運転台展望ビデオ で吊掛けモーターの音を楽しみましたが、本物ですから良いですね。
旧国は宮脇俊三・時刻表2万キロ を読んで触発された、鶴見線・大川支線クモハ12 が最後です。
クモハ42の模型も継ぎ接ぎ改造して作りました。
旧国は宮脇俊三・時刻表2万キロ を読んで触発された、鶴見線・大川支線クモハ12 が最後です。
クモハ42の模型も継ぎ接ぎ改造して作りました。
Posted by DT33
at 2013年09月12日 10:55

32Countさま
本山支線の雰囲気がよく伝わってきます。
この頃は、そんなに旧国と呼ばれる電車たちに熱くなっておらず、
結果、この本山支線は行くことなく終わってしまいました。
クモハ42は宇部線本線仕業と修学旅行帰りに寝台列車の車内からと、
それに飯田線、大糸線での写真が手元にあるだけです。
本山支線の雰囲気がよく伝わってきます。
この頃は、そんなに旧国と呼ばれる電車たちに熱くなっておらず、
結果、この本山支線は行くことなく終わってしまいました。
クモハ42は宇部線本線仕業と修学旅行帰りに寝台列車の車内からと、
それに飯田線、大糸線での写真が手元にあるだけです。
Posted by 狂電関人@昼休み at 2013年09月12日 12:51
DT33さんへ
距離は短いでしたが、国鉄吊り掛けモーターの音を堪能できました。
この頃、まだ飯田線には僚機のクモハ53も健在でした。
この写真もいずれはアップしたいと思います。
私もラストの旧国吊り掛けは鶴見線だったかな!?
そういえばバブル期のトレンディードラマの走り「男女七人秋物語」でクモハ12が登場していました。
狂電関人さんへ
昼休み中に恐れいります。
本当は宇部線が旧国オンリーだった時に行きたかったのですが、生憎、浪人を送っていた時と重なり、行けず…。
下関駅でクモハ51を撮られていて羨ましいかぎりです。
距離は短いでしたが、国鉄吊り掛けモーターの音を堪能できました。
この頃、まだ飯田線には僚機のクモハ53も健在でした。
この写真もいずれはアップしたいと思います。
私もラストの旧国吊り掛けは鶴見線だったかな!?
そういえばバブル期のトレンディードラマの走り「男女七人秋物語」でクモハ12が登場していました。
狂電関人さんへ
昼休み中に恐れいります。
本当は宇部線が旧国オンリーだった時に行きたかったのですが、生憎、浪人を送っていた時と重なり、行けず…。
下関駅でクモハ51を撮られていて羨ましいかぎりです。
Posted by 32Count
at 2013年09月12日 22:59

こんばんは。
クモハ42、いい電車ですよね。客車も電車も端正な「狭窓」が大好きです。
でもいわゆる「旧国」は皆無と言っていいほど撮っていないんです。
何故だか分かりません。架線がうっとおしかったのか、とも思いますが、蒲原は散々撮っている訳ですからね。
惜しい事をしたと思います。ニス塗りの車内など見せられればなおさらに・・・。
クモハ42、いい電車ですよね。客車も電車も端正な「狭窓」が大好きです。
でもいわゆる「旧国」は皆無と言っていいほど撮っていないんです。
何故だか分かりません。架線がうっとおしかったのか、とも思いますが、蒲原は散々撮っている訳ですからね。
惜しい事をしたと思います。ニス塗りの車内など見せられればなおさらに・・・。
Posted by 風太郎 at 2013年09月12日 23:27
風太郎さんへ
ハイ、いい車両(くるま)でした。
ドアヘッダー、ウィンドシルに挟まれて並ぶ狭窓、鉄ゴコロをくすぐります。
飯田線でもクモハ43や53が来ると、トキメキました。
学生時代、私は国鉄車両ばかり追っかけていて、逆に私鉄が手薄になっていました。
蒲原鉄道の存在も知っていれば、出かけていたのでしょうが、雑誌とかにはあまり紹介されず、知らないうちに加茂口が廃線となりました。
晩年、五泉口の短い区間、僅かながらも撮れたのがせめてもの救いでしょうか。
ハイ、いい車両(くるま)でした。
ドアヘッダー、ウィンドシルに挟まれて並ぶ狭窓、鉄ゴコロをくすぐります。
飯田線でもクモハ43や53が来ると、トキメキました。
学生時代、私は国鉄車両ばかり追っかけていて、逆に私鉄が手薄になっていました。
蒲原鉄道の存在も知っていれば、出かけていたのでしょうが、雑誌とかにはあまり紹介されず、知らないうちに加茂口が廃線となりました。
晩年、五泉口の短い区間、僅かながらも撮れたのがせめてもの救いでしょうか。
Posted by 32Count
at 2013年09月13日 07:16
