▼今では家が建ってずいぶん様変わりした野辺山駅・川上側のカーブ。高原とは言え夏の炎天下のもと3時間以上も待ちました。ドラフトの割りにはほぼ無煙状態先月、小海線を走った「旧型客車八ヶ岳号」、
撮影は、営業運転とその前後に行われた回送列車を含め、延べ三日間にわたりましたが、
そうたらしめたのは、小海線という最高の舞台において大好きなDD16牽引の客車列車だったということもさることながら、
鉄道に興味を持ち始めた中坊の頃、ただ単に「写った」シゴロクことC56-94による「SLのべやま号」に対するリベンジ、
さらには時間旅行の意味合いが大きかったと思います。
機材や撮影技術、モチーフに対する理解度など、中坊の頃とは格段に恵まれている現在だからこそ、「写った」ではなく「撮った!」写真を残したかったのです。
とは言え、中坊の頃に撮った「SLのべやま号」、
下手っぴな写真なりに、その当時の雰囲気を伝えていますので、今回、恥ずかしながらアップに踏みきりました
小海線の蒸気機関車との初顔合わせは、その前年の1972年7月のこと。
小学6年生の林間学校で八ヶ岳高原を訪れた時、煙をもくもく上げて走るシゴロクを飯盛山登山途中で目にして、
翌日の自由行動ではSL撮影班に参加して当時のお立ち台、八ヶ岳をバックにする境川橋梁へと出かけ、カメラを向けたものの、シャッターが下りずという憂き目を経験しています。
いったんは、その年の秋のダイヤ改正で蒸気機関車は姿を消していますが、その翌年には夏休みの臨時列車として復活を果たし、
小海線へ出かけるチャンスが生まれました。
当時は京都に母方のいとこが住んでいて、そこをベースに開館したての梅小路蒸気機関車館やDL置き換え間近の関西本線へと訪問しつつ、
16日の五山送り火を見て、18日の晩、夜行の「ちくま」で塩尻へと行き、ここで始発の「アルプス」に乗り換えて、19日早朝に野辺山へ入っています。
「SLのべやま号」、野辺山駅で長時間停車するため、この駅の前後であれば、上り列車を2回の撮影が可能ということでの選択だったと思います。
撮影地に関して多少なりとも知識があれば、西川の鉄橋あたりまで歩いて行ったのでしょうが、今日のようにネット情報がまったくない時代、
自分の感覚を頼りに場所探しをせざるを得なく、そして、見つけたのが表題のところでした。
なんのことはない、野辺山駅から川上寄りに少し歩いた踏切の切り通しで、中学生の足でも5,6分という結果的には安易な感じでポジション取りしています。
現着時、朝も早いことから他に誰もいませんでしたが、列車が到着するたびにあれよあれよという間に人だかりができて、
自分のポジションよりも前にヒトが押し寄せ、
当時はハーフサイズ・単焦点のコンパクトカメラではそれらを避けることはできず、結果的に大量に人を写しこんだ残念な写真となりました。
でも、時代を経ると当時の服装やカメラ、そして蒸気機関車を写す人々の様子が意外にも臨場感あるものだと、逆に感心したりもするから不思議です。
そして、今回、「旧型客車八ヶ岳号」の背景となった男山に加え天狗山が写っていました!
SL通過後は野辺山駅へと戻り、停車中の姿をスナップしたのち、最高地点側へと歩き撮ったのが↓
これまた、位置取りやレリーズポイントにツッコミどころ満載ですが、唯一全体の編成を捉えた一枚となりました。
C56-94を先頭に客車2両と車掌車1両をしんがりに連結するミキストを彷彿させる雰囲気。
こちらにも男山と天狗山が背景に入っていました。
列車撮影後、続行で運転される循環急行「のべやま」で小淵沢へと出て、
▼野辺山駅発行の硬券乗車券と急行券。京都→国分寺で乗車券を購入していたため、小淵沢駅までの区間の乗車券と「のべやま」の急行券、そして小淵沢からの急行券を買い求めました。野辺山〜小淵沢100円とは時代を感じさせます!なぜか、下り列車を撮らず(だいぶお疲れモードだった!?)、
接続する旧型客車編成の臨時急行「たてしな」(←おそらく)で八王子駅を経て帰宅していますが、
スシ詰め状態でデッキの扉部分に腰を掛けての
スリリングな旅を体験することに…。
今回、小海線に旧型客車が、43年前の「SLのべやま」を彷彿させるスジで夏季に運行され、記憶が薄れつつある時代のワンシーンが蘇ってきました。
*小海線・野辺山〜信濃川上、清里〜野辺山(南牧村)
RICOHのハーフサイズカメラ!?(ネオパンSS)
1973.8.19撮影
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