国鉄分割民営化から30年目の3月31日

32Count

2017年03月31日 22:00


その日、会社がひけると、カメラバックと三脚を携えて都内へと西武線〜山手線を乗り継いで向かっていました。

その日とは1987年3月31日。

この日限りで国鉄が6つの旅客会社と貨物会社に分割民営化され、その記念イベントとして汐留貨物駅にC56-160が展示され、汽笛を吹奏するのです。
たくさんの人が集まる中、なんとか立ち位置を確保。

正面がちのベストなアングルではないものの、シゴロクの凸テンダーが分かるベターなポジションでした。

イベントの幕が開き、やがて、メインイベントである汽笛の吹奏。

ボ〜〜〜、と都会には似つかわしくない、されど懐かしい音が長く響きわたりました。

この後、大学の先輩達と新橋駅に移動して、EF65-1134+12系+マイテ49「さよなら国鉄/旅立ちJR西日本号」を見送りましたが、もの凄い人だかりでなんとかマイテを1カット撮れたのみ…。

実家に帰ってテレビの画面を見るにつけ、なんだが、「行く年来る年」を見るような変な既視感がありました。

あれからもう30年…。

国鉄時代の無愛想な職員はいなくなり、お客さん本位での接客、

さらには駅ナカの展開などで、一般的には好意的に受け取られているようです。

鉄ちゃん的には当初は単に列車の側面にJRマークが付加されるに過ぎませんでしたが、やがて、各社で独自の塗装色を採用するに至り、

中にはあまりにも奇抜で風景から浮くようなデザインがありました。

その後、塗装色は落ち着く傾向にありましたが、やはりと言うか、伝統的な国鉄色はどんどんJR塗装へと塗り替えが進み、

各社で独自の車両が続々と誕生して現在に至っています。

都市ではフリークエントサービスや湘南新宿ラインや上野東京ラインで南北の乗り入れが強化される反面、地方のローカル線ではダイヤ改正のたびに減便され、

会社間の相互乗り入れも少なくなり、夜行列車に至っては絶滅に限りなく近い状態…。

豪華クルーズトレインの落成は否定しませんが、もっと公共交通機関の矜持を持ち続けて欲しくもあります。

30年という歳月、

この年に生まれた人は満30歳、社会では中堅どころといった感じでしょうか。

JR各社での格差が進み、本州3社はおおむね好調、九州も不動産などの鉄道以外の収入で堅調ないっぽう、

パイの小さい四国と過疎地に加え気象が過酷な北海道は厳しいですね。

このあたり、民営分割化の時も議論になったことですが、30年経ってそれが現実化しました。

とくに北海道は単独で路線を維持できる区間が全路線の半分だとか。

30年という節目で国鉄分割民営化の総括、行ってみても良いのでは、なんて思っています。


*東海道本線・汐留駅にて(東京都港区)
NikonFM2+80〜200mm?(KR)
1987.3.31撮影


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