初回は三河エリアの温泉宿を撮ったのち、南伊豆の温泉で特集の撮影をこなして、埼玉の実家へと向かっているのですが、
帰り道、取りあえずひと仕事終えたことを父に報告しようとしたのですが、厚木インターからの国道が渋滞して、埼玉に辿りついたのが少し遅い時間帯となり、
明日、行けばいい、と思ったのが間違いでした。
(今、考えると身内なので面会の時間を気にしなくても良かったのですが…)
日を跨いだ未明、病院から電話があり、容態が悪化したので、すぐ来てくれとのことでしたが、
既に息を引き取っていました。
この時ほど、用件を明日に持ち越すな!、ということを思い知らされました。
父は典型的な九州男児で、口よりも先に手が出ましたが、
そのいっぽう、自分の行うことには最初は反対の姿勢を見せるのですが、最後は理解を示してくれ、
中二の時、只見線へ蒸気機関車の撮影の計画を立てた時は、会津若松から只見までの国土地理院5万分の1地形図すべてを買いそろえてきてくれたり、
大学進学の際、文学部志望に対し、そんなツブしのきかない学部への進学には反対だったのですが、結局私の意思を尊重してくれたり、
社会人になってカメラで身を立てたいことに対しこれまた反対の意思を示したのですが、
フリーランスになって最初に戴いた連載では毎号掲載誌を購入してくれ、会社の人たちとコレを肴に呑んでくれたりしました。
73歳での旅立ち…、
じゅうぶんに親孝行をできないままに逝ってしまいましたが、
父を喜ばせた数少ない出来事として、1998年の長野オリンピック閉会式の招待でしょうか?
テレビ画面では体感できないライブ感・臨場感とその後繰り出した権堂の居酒屋ではカナダから来た人と片言ながらも交流をもてたこと、
一生の思い出となりました。
干支ひとまわりしてやって来た酉年の2017年1月19日。
この12年間、本当にあっと言う間でした。
中年から熟年へと差しかかり、体力的にも、風貌的に衰えは隠せず、
12年後、古希の一歩手前。
出来るだけアンチエイジングに励みつつ現役を続けたいのですが、どんな近未来が待っているのでしょうか!?
画像は既出ですが、唐津線の朝の客レ。
中多久の親戚宅から父に連れられて線路脇に立ち、写真は父が撮りました。
編成が途切れているなど、ツッコミどころ満載ですが、門デフ19634とともに思い出の一枚です。
*唐津線・東多久〜中多久(佐賀県多久市)
キャノネット
1972年8月父撮影
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