富士山は武蔵野・小平に生まれ育ったことから幼少の頃から親しんできた山だったりします。
高校卒業後、埼玉へと引っ越しましたがこちらでも自宅寝室から富士山が眺められるというシチュエーションに恵まれ、
実家からもほど近い八高線ではDD51重連貨物列車をよく富士山バックで撮ったもので、
「日本の名山と鉄道」を撮るキッカケとなるひとつとなる路線で思い入れ深いものがあります。
撮り始めた時は非電化&タブレット閉塞、というおよそ首都圏近郊とは思えぬ非近代的な設備を持ち合わせており、それがまた写欲をそそられ、
朝に夕に出かけたものでした。
それから40年近くの年月が経ち、貨物列車は廃止されたのに加え電化もされ、東京駅へと直通する列車まで設定され、宅地化が進み30数年前とはずいぶん様変わりしましたが、
新たに開削されたバイパス道の跨線橋から往年の雰囲気で撮ることができるのは幸い。
最高峰の剣ヶ峰は見えないものの吉田大沢の、緩い凹みが織りなす山容は何故か懐かしく…。
総武緩行線などで使用された209系がローカル運用に転じ余生を送っています。
その後、長野へと移住して甲信からの富士山も馴染みある姿となりました。
中央本線からは富士山からはやや距離を置くもののその全貌が捉えられるということで新府駅の下り方はよく通うポイントです。
とくに桃が満開となる春先、ピンクの花と富士山、そして「武田菱」E257系との組み合わせはメリハリがあって最高でした。
対して山の反対に位置する静岡県側は…、
こちらは多岐にわたっていますが、なかでも御殿場線からの富士山、
正月2日の未明に南足柄〜御殿場間のよく知られたポイントに赴くと「パール富士」と御殿場線の光跡を期せずして撮ることが!!
月の動きを詳細にチェックしていなかっただけに興奮しました。
この日は終日晴天に恵まれ、
伊豆箱根鉄道では旧西武101系リバイバル色と、
さらには
東海道新幹線とのコラボも叶いました。
同じ静岡県内でも撮る位置によって微妙に富嶽の山容は変化しますね。
その中でも最も特異な姿が富士宮からのもの。
日本最高所の剣ヶ峰を頂点に向かって左には大沢崩れを擁してエッジの尖り具合が他の方向からの柔和な姿とは一線を画している感じです。
静岡県と隣接する神奈川県からも富士山は意外にも近く、
小田急線は特急・通勤列車とも車両がバラエティーで撮り甲斐あります。
この時は引退が確定したLSEをメインターゲットにしたのですが、
その間隙を縫ってやってくる鋼製の、アイボリーホワイトに青帯を纏った元祖小田急塗装を踏襲する8000系が10連で編成をくねらせる姿にも惹かれました。
そして、富士山はその高さゆえ極めて広範囲からその姿を望むことができ、
晩秋に奈良県の大台ヶ原に登った際、未明の一瞬にその台形のシルエットを200数十キロの距離を克服して確認することができましたが、
果たして鉄道ではどこが最長なのか、
それはいまだ不確かなのですが、鹿島臨海鉄道・大洗〜常澄間は結構なディスタンスではないかと思います。
直線距離で200kmぐらいか、
那珂川を隔てたひたちなか市湊公園から約2km先の列車を500mm相当の望遠レンズで撮!!
こちらは大気によるヘイズを避けてシルエットで列車の室内灯を捉えました。
ちょうど茨城特産の「あんこう鍋」の旬と重なり、撮影後は茨城交通那珂湊駅にほど近いホテルで本場の逸品を賞味できたのはコロナ禍前の良き思い出となっています。
こうしてみると富士山、
完璧なる成層火山ゆえにどこも同じに見えるかと思いきやさにあらず、
見える場所はホント広大でアングルによって微妙にその山容を変えてきます。
それだけに被写体として写欲がかきたてられるのです。
富士山を最後に登ったのは1979年10月の浪人時代のこと。
富士吉田までは新宿からの高速バスでアプローチしてそこから自らの足で一合、二合…と旧登山道を夜通し歩いて、
五合目の山小屋の軒先で仮眠をとり、
八合目の上でご来光を迎えて雪の上を歩いて日本最高所の剣ヶ峰へと達し、御殿場へと下山して、
引退間近い御殿場線の73系を撮りつつ乗りつつ、新松田から小田急線で帰還しました。
それから40数年が経過してこちらも再びその絶頂に立ちたいと思案していますが…。
*八高線・東飯能〜高麗川(埼玉県飯能市)
中央本線・新府〜穴山(山梨県韮崎市)
御殿場線・南足柄〜御殿場(静岡県御殿場市)
伊豆箱根鉄道・三島二日町〜大場(静岡県三島市)
東海道新幹線・三島〜新富士(静岡県富士市)
身延線・沼久保〜西富士宮(静岡県富士宮市)
小田急線・渋沢〜新松田(神奈川県大井町)
鹿島臨海鉄道・大洗〜常澄(茨城県水戸市)
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