新幹線0系の思い出

32Count

2008年11月28日 13:00




開業以来、新幹線の「顔」として親しまれてきた0系。

今度の日曜、11月30日をもって営業運転から退くとのことです。

既に東海道からは99年に撤退しており、最終運転区間は新大阪〜博多の山陽区間です。

アイボリーホワイトにブルーという塗装、丸みをもったフォルムはどことなく愛くるしく、とくにその先頭部分は見る角度によって微妙に変化し、40年以上経った現在(いま)でも色褪せない斬新なデザインを保っていると思います。

もっとも最後まで残った3編成、18両は、1986年製と比較的車齢は若いのですが、長距離を高速で走行するのを常としているので、新製後20年で引退というのは妥当なのでしょうけれど…。

0系の後継機として100系、300系、500系、700系、N700系と東海道・山陽新幹線には5系統が開発され、新形式が登場する毎にスピードアップが図られました。

1964年開業当時は東京〜新大阪が4時間かかっていましたが、今では最速の「のぞみ」で2時間25分ほど、東京〜博多でさえ、4時間50分です。

私が最初に新幹線に乗ったのは開業から3年ほど経った1967年(昭和42)の暮れも押し迫った頃。

母方の祖父の危篤の報せを受けて、急遽、佐賀へと出かけることになったと思います。

この時の行程は東京〜新大阪が新幹線、新大阪〜博多が寝台特急「月光」、博多〜佐賀は客車列車だったと記憶しています。

親の心配をよそに初めて乗る新幹線に気分は昂揚していましたが、いかんせん、暗くなってからの乗車だったので、景色は見えるはずもなく、今まで経験したことのないスピード感から少し乗り物酔いをするハメに…。

最初の新幹線乗車は決していい乗り心地ではなかったようです。

復路は切符が買えなかったということで、博多から東京まで延々と普通車座席の客車急行で帰ることになり新幹線には乗ることはできませんでしたが、それから2〜3年ほどしてひょんなことから2回目を体験することができました。

家族旅行で伊豆への海水浴へ行った帰り道、父の気まぐれ(!?)からか、バスで天城越えをして帰ろうということになり、三島から新幹線に乗ることができました。

今度は待望の「明るいうちに乗る新幹線」ということでワクワクしていましたが、イザ乗ってみると、トンネルが多くって景色もあまり見えない、おまけに東京近くになると並走する山手線にも抜かれる、やはりあまりいい印象はなかったようです。

それから今日まで0系車両には撮影旅行やビジネスなど、何度となくお世話になっているのですが、意外にも「7:3」の写真を撮っていないことに気がつきました。

「7:3」とは画面の真ん中よりやや端っこに車両の頭を置き、最後尾までカッチリと入れる編成写真のことですが、どちらかというと、在来線のそれも旧い型のものを主に撮る傾向にあって、移動で使う新幹線は「撮る」対象ではなかったようです。

過去のストックポジを見て、見つけたのが今回アップしたものです。

ある雑誌の撮影で富士山周辺の鉄道写真を撮った時、未使用になったカットです。

富士川橋梁を渡る新幹線0系を、富士山をバックに捉えました。

あれだけ膨大に見ているのにまともなのがこの1カットというのは、なんともはや、って感じです。

新鋭の型が開発され、スピードアップが図られる新幹線ですが、やはり、私にとって新幹線と言えば、この0系がやはりしっくりきます。

まぁ、ともあれ明後日で引退する新幹線0系に、「永い間、日本の大動脈を担ってくれて本当にお疲れさまでした」と、労をねぎらいたいと思います。




*東海道新幹線・三島〜新富士
NikonF4+35mm(?)
1991年頃(?)撮影




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