1981年9月時点で旧国が走っている路線は2路線に過ぎず、
そのひとつ小野田線・本山支線は全長2.3kmの枝線に過ぎませんでしたが、ここには戦前に関西国電に投入されたクモハ42が現役で活躍していました。
前パン、狭窓、2扉、そして厳つい顔つきをした前面、
旧型車の、それも由緒あるキモが凝縮されていました。
001は2003年まで現役を続けたというのですから驚きです。
晩年は前面の黄色い警戒色もぶどう色に塗り替えられ、原型らしくなりましたが、訪れたのはそれよりも15年以上も前のことでした。
ネガを見ると、この前のカットが山口線の篠目駅での発車を狙ったもので、その続行列車で小郡まで行って、宇部・小野田線に乗り換えて雀田へと入っています。
夏の西国でさえも、到着時には宵闇が迫っていましたが、逆にマジックアワーと重なり、なかなかの雰囲気。
駅停車中をまずはパチリ☆彡
車内の様子も続いて撮りました。
床は板張り、壁や背もたれはニス塗り、扉付近のロングシートを除いてクロスシートがズラリ、そしてセンターポールが懐かしいです。
この日はこれで撮影終了。
小野田線のおそらくは妻崎駅あたりで「駅寝」して、翌朝、電車区のある宇部新川から本山支線へと送り込まれるクモハ42充当の始発電車に備えました。
これは厚東川のコンクリート橋でお出迎えしました。
昇ったばかりの朝陽がオールドタイマーの側面を浮かび上がらせます。
続行の電車で雀田に戻って、ここから長門本山まではクモハ42を撮影しながらの徒歩で移動。
長門本山駅では折り返す時間、各パーツを撮ったのち、駅を全貌する小高い丘のお立ち台へ。
少し高みに登るだけで、青い海原が広がる周防灘も望むことができました。
夏草が生い茂る侘びしい終着駅。
吊り掛けモータを高らかに雀田駅へと戻っていきました。
本山支線での撮影はだいたいこれぐらい。
この後、宇部線のどこかの駅で留置されているクモハ51や41を撮って、小郡駅へ。
ここでは山口線の「SLやまぐち号」の出発を撮って、普通列車で広島のひとつ手前の横川駅へ。
中国地方で残った旧型国電のもうひとつの路線、可部線を訪ねたのでした。
*小野田線・雀田駅、居能〜妻崎、長門本山駅(山口県小野田市、宇部市)
Pentax KX+50mm、80〜200mm
1981年9月撮影
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