賢治ゆかりの地・陸中松川をラン
▼大船渡線沿いに白い偉容が聳える東北砕石工場。手前のレールが専用線の廃線跡
9/12の夜は雨の東北道を北上、一ノ関にて岩手県入りを果たしました。
まずは大船渡線周辺を巡ることに…。
政治的思惑により大正年間、北に大きく迂回して建設され、その線形から俗に「鍋弦線」とも言われる部分の西寄りの膨らんだ所に陸中松川駅があります。
▼腕木式信号と転轍機をオブジェ化して案内標識にした東北砕石工場
一見すると、なんも変哲もないように思える小さな駅ですが、じつは岩手県が生んだ詩人にして童話作家の宮沢賢治ゆかりの地だったりします。
晩年、土壌改良の見地から石灰の普及に東奔西走するのですが、それがこの駅からほど近い「東北砕石工場」に技師として働いていた時のことでした。
▼東北砕石工場時代の賢治の有名な写真をリアルに再現した人形。後列右から4番目が賢治
東北砕石工場を始め、賢治の活動や業績を展示した「太陽と風の家」「双思堂文庫」などが点在し、町全体が「石と賢治のミュージアム」として宮沢賢治の足跡を辿ることができるようになっていると思います。
そんな賢治が駅と工場を往復し、周辺を散策したであろう陸中松川界隈を走りたくなりました。
▼大船渡線の本線と並行してトロッコレールが再現されている
撮影がひと段落して、薄暮の時間帯まで少し時間もあったことも後押しされました。
コースは、
陸中松川駅ー県道282号を南下ー砂鉄川を渡りー同川左岸を北上ー猊鼻渓駅ー県道19号を西へー陸中松川駅
という約10kmを設定。
果たして賢治の有名な詩「雨ニモ負ケズ」で表された「デクノボー」、つまり、「ホメラレモセズ、クニモサレナイ」目立たない人(ここが賢治デクノボーの道案内板より)の心境に近づけるか!?
▼宵闇迫る砂鉄川の川面を望む。その名の通り鉄を産出したのでしょうか?
雨上がりで周囲の山々にはまだ低い雲がかかっていたものの、西の空は夕焼けが出始めていました。
線路沿いの道を下るとやがて砂鉄川に架かる橋に導かれます。
周辺は今もなお石灰の採掘が行われているようで、いくつもの石灰精製のプラントを目にしました。
鉄道貨物全盛の頃は陸中松川駅からホッパー車が発着していたのでしょうね。
道はほぼ平坦で走りやすく、岩手県南で気持ちのいい汗をかくことができました。
賢治が見たであろう山や川を見ながら走れたのは満足でしたが、「雨ニモ負ケズ」の「デクノボー」の心境にはまだまだほど遠かったかな!?
*陸中松川にて(岩手県一関市東山町)
NikonD700、Lumix
2010.9.13ランニング実施
関連記事