大町アルプスマラソン結果を総括

32Count

2009年10月28日 21:29



先々週の日曜日に行われた「大町アルプスマラソン」。

結果の報告が遅くなりました。

ご覧の通り4時間を少し切る記録に終わり、自己ベストの3時時間19分を更新することを目指していただけに不本意なタイムとなりました。

自己新をクリアできなかった要因はいろいろと考えられますが、まずはレースを振り返ってみます。


当日は首尾通り最前列を確保、このあたり大町の良いところであります。

他の大会だとこうはいきませんからね。

9時ジャスト、ゲストの増田明美さんの号砲一発でスタート!

さすがに最前列に集う強豪たち。

ツラれてこちらもついつい早く走ってしまい、運動公園から公道に出た時はなんとトップから5番目。

「これはヤバい」と思い、ペースダウンするものの、序盤は下り坂と重なってなかなかスピードを抑えることができず、最初の1kmは4分05秒で、次の2kmは4分15秒と、自分にとってはかなりの早さ。

4~5kmでようやく自分の力量の巡航速度、4分30秒台を取り戻すことができましたが、5kmのラップは考えていた23分台よりも2分も早い21分台。

6km付近で「名古屋国際女子」を目指す知り合いアスリートに抜かれるものの、ここは冷静に自分のペースでの走りを徹底することに。

8km付近で来た道を折り返すや、それまでにない脚への重力を感じ、下りから登りに転じたことを実感。

ここから21km過ぎまでは延々13kmにも渡る長い長い登り勾配に挑みます。

並行して走る大糸線の、信濃常盤から信濃木崎に相当する距離、鉄道で言う表記だと10~16.7‰の連続勾配。

心拍数を高めるため、敢えて「ハァハァ」と喘いで、全身に血液を送り込むようにします。

この延々と続く登りはとにかく「我慢の走り」が出来るかということだと思います。

大町温泉郷の旅館街をかすめ、先にアップした杉の大木が見えてくると、サミットはもうまもなく。

ほぼ中間点の21kmを1時間40分台で通過、単純計算で2倍にすると3時間20分となり、自己新更新には1分足りないですが、終盤の下り坂を活用してスパートをかければ、この数字は悪くはありません。

源汲橋を渡り待ちに待った下り坂へ。

それまでの我慢の走りから、まさに水を得た魚のごとく、軽快な走りへと変わりました。

25km先からは木崎湖畔の小さな登りにさしかかりますが、ここで南小谷行き下り「あずさ」が対岸を走り抜けていくのが見えました。

前々回、このコースで自己ベストを出した時も、湖畔で「あずさ」を見た記憶が蘇り、時刻変更が行われていなければほぼ同じ時間帯です。

木崎湖の折り返し400mほど手前で6km付近で追い越された名古屋国際を目指す知り合いアスリートとすれ違い。

タイム差は4分ほど!?

27~28km地点にある折り返し点をぐるりターンすると、一転して下り坂へ。

多少上り坂で嫌気が出始めていたため、再び下り坂を使って加速を試みようとしました。

ところが。

「!」

思うように脚が前に出ないのです。

給食エイドでバナナを頬張りエネルギーを体内に送り込むのですが、パワーに変換しません。

下り坂から平坦道、さらには後半の山場、30~34kmにかけての登りに差し掛かるとみるみるうちにスピードが落ちてきます。

一生懸命、腕を前後に振って走る体勢に持っていこうとするのですが、やがては歩くのとさして変わらなくなり、ついには腕振りを止めてしまって、歩いてしまうことに…。

この時点でもう自己新実現は水泡と帰しました。

身体全身、脚はもちろんですが、肩や腕も痛くて、走るのが「ヤダく」なっていまって。

34kmのサミットを越えて下り坂になってもいっこうに走る気にはならず…。

やはり、走り込み不足がたたりましたかね!?

月間走行距離はせいぜい150kmほど、ウィークデーは自宅周辺の10~12kmのコースを2回ほどと、走友との夕練が週一程度、そして週末は野尻湖や菅平に遠征して準高地トレーニングを重ねてものの、件の名古屋国際女子を目指しているアスリートに比べると練習量は雲泥の差。

長い距離を走るために必要なお尻の筋肉の「ため、蓄え」が42kmを走るのに不足していました。

このため無しには理想的なレース展開が出来ません。

そして、致命的なのはウェイト・オーバー。

レース直前、ジムで計測したらほぼ68kg近く、目標体重よりも3~4kgも多く、これが後半の失速の一因になったことは明らかです。

次回のフルマラソンは来春の長野マラソン。

今度こそ練習量の確保とウェイトコントロールでカラダを絞ってレースに臨み、自己新実現をモノにしたいと新たな闘志を抱いた09年秋の大町アルプスマラソンでした。








関連記事