50代半ばの私が永六輔さんの存在を知るのは意外と早く、1972(昭和47)年頃、小学6年生当時!?
母が和文タイプの内職を自宅で行っており、気を紛らわすために聴いていたラジオ。
それが赤坂のTBSラジオ・オンリーで、確か当時はアニメ「サザエさん」のマスオさんを演じていた近石真介さんの、午前中のワイド番組に内包されていた「永六輔の誰かとどこかで」でした。
当時、鉄道百周年で「Discover Japan」と蒸気機関車の終焉が重なり、一気に鉄道熱へと加速していた最中、
風邪で学校を休んだり夏休みといった長期休暇中、なんとなく流れていたラジオから永六輔さんの旅話しを聴くことにとても楽しみにしていました。
私にとって「知らない街を歩いて見つけた風景」
そんなことに小学6年生だった私は興味津々でした。
以来、「誰かとどこかで」はかなりの頻度で聴いており、
長野に移り住んでからは地元SBC(信越放送)で聴いた後、上京するとネット局であるTBSとは1時間ぐらいの時間差があったので、同じ放送を聴くことができたり、
なんだか不思議な感覚に陥りました。
聞き手である遠藤泰子さんとの息もぴったりで、番組が終了する2013年まで長きにわたってのパートナーを務めていました。
大人になってからは世相のこと、とくに「長いものに巻かれる」ことへの危惧、
はたまた「知らない角を曲がれば旅が始まる」といった格言は、その後、カメラマン&ライターとして仕事をする際、心に留めていたことでした。
「土曜ワイドラジオTokyo 永六輔その新世界」その後、週一になり最後の冠番組となった「六輔七転八倒」など、
戦争を体験し、戦後の高度成長期にメディアの中枢におられた永六輔さんならではの言葉だったと思います。
改めてご冥福をお祈り申し上げます。
土居まさるさん、野沢那智さん、林美雄さん、塚越孝さん、愛川欽也さん、野坂昭如さん、小沢昭一さん…、
子供の頃から思春期を経て社会人に至るまでラジオから流れていた声が聴かれなくなる現実、
順番とは言え、時の流れの無情を感じずにいられません。
TBSラジオクラウド
「いち・にの三太郎~赤坂月曜宵の口」では、8/11まで永六輔さんを偲んでの番組を配信しています。
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