生まれ育った所を見たかったので、迷わず下流側へを歩を進めます。
駅の東側、ガキの頃は蚕糸試験場があり、よくお蚕さんを貰いに行きました。
昭和っぽい木造平屋の建物が並んでいたと記憶していますが、今は小平中央公園として整備され、宅地や商業施設として開発されなかったことは嬉しく思いました。
そして、なによりも昔と変わらない土の土手道とそこにあるクヌギやナラ、ケヤキといった雑木林。
まさに、生まれて間もない時から成人する直前まで、この林の中で自然と戯れていました。
両親が残してくれたアルバムによると昭和38年(1963)1月1日、
2歳とひと月半で初めて雪を見、庭で遊ぶ興味津々な私が映し出され、
その向こうには玉川上水の冬枯れた雑木があります。
夏はホタルが乱舞し、小学校に上がると、カブトムシやクワガタ、セミといった昆虫採集や、
上水の分水でのザリガニ、タニシ、ヤゴ、魚捕りに興じ、
「川跳び」と称して分水を幅跳びよろしく、跳んでみたり、
(時々、跳躍が足りず水の中に落ちたりもしました)
木に縄を吊して「ターザンごっこ」なる遊びもしました。
中学、高校生に上がると、部活のトレーニングの一環で自主的に行ったランニングでは、好んでここを走りましたが、
今日のマラソン好きになったのは、もしかしたら玉川上水で過ごしたことが一因かもしれません。
何年か前、
走友に自分のトレーニングしたコースを見せたくって、一緒に走ったこともあったっけ…。
旧宅前にはケヤキの大木があり、これによって夏は直射日光を避けることができたのですが、
台風などの強い風が吹いた時などは、枝と枝がこすれて、樹が大きくざわめいて、子供心には怖い思いをしました。
怖い思いと言えば、水際に家があるため、ヘビと多く出くわして、今、思うとアオダイショウやシマヘビの類いなのですが、
その長くってグニャグニャした一件が樹の枝にまとわりついていたり、あるいはとぐろを巻いているのを見るにつけ、
恐怖心を抱き、今でもトラウマになっています。
(今回も鷹の台駅近くの橋の上で見かけました)
遊歩道沿いには街灯がなく、夜の、その漆黒の闇も幼な心には怖い対象でした。
その頃、数年に一回の割合で入水自殺した土左衛門が上がっており、
そんなことを近所の友人は聞きつけ、現場を見て、様子を詳細に伝えるものですから、
今で言う「心霊スポット」でもありました。
暗闇がさらに怖さを倍増させて、高校生になって駅までを自転車通学せざるを得なくなるまでは、
すぐ目の前にあるのに歩くことはできませんでした。
とは言え、先に書いたように玉川上水から自然の不思議を学び、身体を鍛えることができ、私にとって誇ることのできる「ふるさと」。
鷹の台駅の上流側では新たに幅36mの都道が上水を貫く計画があり、
先頃、小平市において住民投票が行われたことで話題になりましたが、
羽村の取水口から三鷹・井の頭公園付近までつづく都内にあって貴重なグリーンベルトだけに、
どうかこのままの姿で次世代へと受け継がれることを切に願いたいものです。
一橋学園駅とのほぼ中間点に私の育った都営住宅、そして通った小学校があるのですが、
子供のサイズではとても広く感じた商店街の道、
大人になって辿ってみるとなんとも小さく狭く感じるのが不思議です。
いくつかの商店は今も営業を続けており、
なんといっても銭湯
「小平浴場」が現役なのが嬉しい限りです。
ちょうどここを通りかかった時、煙突からは煙が上がっていました。
この風景も半世紀前から変わっていません。
旧宅はすでに取り壊されていて、道路と化しているのですが、
そこかしこにガキの頃の思い出を追体験できて、とても充実した上水散策となりました。
このあと一橋学園駅まで歩いて、多摩湖線で国分寺駅へと出ました。
*玉川上水にて(東京都小平市)
NikonD700+VR24〜120mm
2014.10.10撮影
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