2014年06月30日

大糸線の海坊主・クモユニ81

大糸線の海坊主・クモユニ81

いったん古いアルバムを繰り始めると、とりとめないですね。

ここ数日、すっかり30年の時を隔てて1980年代前半に時間旅行してしまいました(汗)。

過ぎると現実の世界に帰ってこれなくなる恐れがあるので、大糸線アーカーブも今回で中締めに…。

また機会を見て、大糸線をはじめ、飯田線、身延線、はたまた首都圏の旧型電機、旧型国電をアップしていきたいと。
中締めを締めくくるネタとして、やはりこの車両をもってきました。

クモユニ81003。

単色化が進む某JR真っ青の破壊力!!

元々は湘南色をまとっていましたが、大糸線転属で青22号に改められたのですが、おでこから屋根にかけての特徴的なR、

単色化されるととても目立ちます。

「海坊主」のあだ名、納得です。

松本方に連結され、松本〜信濃大町間を1日数往復していました。

(信濃大町〜糸魚川間はキハユニ26などが担当)

最初は違和感を感じていましたが、見慣れてくるとその愛嬌さゆえか、はたまた安曇野の風景にマッチするのが分かったからなのか、逆にクセになり、

コイツが連結されていないと物足りないことも。

↑の写真はメモがないので断定はできませんが、カーブやポールの様子、背景の山の雰囲気から信濃常盤〜南大町間でしょうか!?

115系がそろそろ入線するという噂を聞きつけ、梅雨空を突いての遠征だったと思います。

クモユニ81は旧型国電が全廃する7/26よりもひと足早く引退しており、

学生手帳を見ると、6/22に運用が落ちて24日に長野工場に帰らぬ旅立ちをしているようです。

クモユニ81の後釜として72系を種車にしたクモユニ82が、新製間もない115系の、やはり松本方先頭に立っていました。

(こちらは3カットのみしか撮影せず)

スカ色+湘南色のコンビがしばらくは安曇野で見られましたが、1986年に鉄道手荷物、鉄道郵便の廃止にともない運命をともにしました。

この夏、イベントであるものの、スカ色のクモユニ143が、やはり同じスカ色の115系(C1編成!?)をしたがえて大糸線に登場します。

こちらは現実の世界での時間旅行、今から楽しみです♪


*大糸線・信濃常盤〜南大町!?
Pentax KX+80〜210mm
1981年6月撮影


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この記事へのコメント
おでこが不均等に茶色化しているのが勉強になります
模型では上まで塗ってしまいました
Posted by DT33DT33 at 2014年06月30日 23:39
32Countさま

1981年は、ご指摘で思い出しましたが本当に彼らが最後の
輝きを放っていた時だったのですね。


益々感慨一入です。。。
Posted by 狂電関人 at 2014年07月01日 08:03
DT33さんへ
一番風雨にさらされる部位だからでしょうか!?
塗装の錆具合が進んでいますね。
春先限定でしたが、特有の白いサンバイザーを運転席を覆っていましたね。

狂電関人さんへ
1981年、この大糸線に加え、身延線の旧国が落ち、翌々年は飯田線の旧国が落ちて、そして、1987年、国鉄民営分割化されました。
振り返ると、国鉄民営分割化が今日の夜行列車の存亡にまで至るとは、当時は思ってもいませんでしたが、現実はじわじわとやって来るものだとこの歳に至って実感しています。
奇しくも今日は集団的自衛権が閣議決定され、当面は今のままだと思えるのですが、10年、20年後のニッポンの姿を思うと、いささか不安を抱いてしまいます。
(すみません、コメントをは違う内容で、少し筆が走ってしまいました)
Posted by 32Count32Count at 2014年07月01日 22:43
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